いまほっとなスポット 四条大宮あったか商店街 公式サイト

四条大宮あったか商店街
HOME > 四条大宮とは
前のページへ 四条大宮とは――新選組の歴史 次のページへ

新選組は、文久3年(1863年)の春に徳川幕府の支援を受けた清河八郎が、将軍家茂上洛の警護のためと称して腕に覚えのある侍を江戸で募集、京都の壬生・新徳寺に居を構えた「浪士隊」がそのルーツとなっている。

だが突如清河八郎が浪士隊を朝廷の警護番となることを表明するや、それに賛同できなかった近藤勇・芹沢鴨をはじめとする一派が離脱。

京都守護職・松平容保公預かりの元、同年春に「新選組」が誕生。壬生の八木邸を屯所として、幕末の京都と言う激動の時代を背景に、新選組は京の町の治安維持にあたることになったのである。

今の視点で振り返ってこそ幕末は「新しい時代への夜明け前」の時期といえるが、その時代に生きていた人々にとってはこれからどうなっていくかも分からない混迷の日々だっただろう。

したがって勤王の志士と新選組の双方にそれぞれの主張があり、一概に「善」だとか「悪」だとか決めつけられるものではないだろう。共に、己の信念に基づいて、己の生きる道を貫き通したのである。

その後厳格な局中法度の元に組織を拡大していった新選組は、文久4年(1864年)の池田屋事件を経て、慶応元年(1865年)の春、西本願寺へ屯所を移転する。しかし、もはや衰退の方向へと向かっていく徳川幕府の中で、最後まで「男気」を貫き通した新選組も、次第に分裂。

慶応3年(1867年)の大政奉還から鳥羽・伏見の戦いを契機として、否応なしに歴史の流れの中へ巻き込まれる。慶応4年(1868年)の春、局長・近藤勇、薩長軍に捕らえられ斬首。同年夏、沖田総司病死。明治2年(1869年)に函館・五稜郭の戦いで、副長・土方歳三戦死。……そして、生き残った隊士たちも、明治という新しい世において次々と亡くなっていく。

かくして、新選組は歴史の渦の中に巻き込まれて消えて行った。だが彼らの激しい生き様を描いた小説・映画・TVドラマは数知れない。

「幕末」という動乱の時代を生きた新選組は、今尚「平成の世」に生きる私たちの「心」の中に生きているのである。

百軒店お店一覧

©2015 四条大宮商店街振興組合