ダイバーシティの時代に合った商店街

「四条大宮の人」第2回目のインタビューは、四条大宮のシンボル的存在であるロータリーを望むビルにて『焼肉の大将軍』などを経営され、四条大宮商店街の副理事長を務めていらっしゃいます新井一樹さんに、お話を伺いました。

戦後からの復興〜パチンコから焼肉・サウナまで

――創業から70年以上と伺いました

創業者の父は、京大の法学部出身でしたので、法曹界に残りたかったと聞いていました。ただ、戦後の時代背景もあり、その願いは叶わなかったそうです。1952年(昭和27年)に四条大宮ではなく別の場所で事務所を開設し、それが創業となります。
戦後復興期を過ぎ、外貨も入ってきたことによって日本が少しずつ豊かになる中、「何かで楽しみたい」という人たちに向けてパチンコ店が増えてきたことに着目し、パチンコ店を開業しました。
両親からは、開業のために資金集めに奔走したと聞いていましたが、時代が良かったのか、その10年後に現在の場所へ店舗を移転し、1年後に焼肉店もオープンしています。
移転場所の候補として、河原町も上がったようですが、当時阪急電鉄の終点であった四条大宮のほうが盛況な雰囲気があったそうで、この地を選ぶ決め手となりました。右肩上がりの高度経済成長時代であった事や阪急駅前の利便性のおかげで集客に苦労しなくて済んだことが、功を奏し事業は発展しました。
今は残っていないですが、(現ビルの)南側には染物工場がありました。当社の窓から工場の屋根が覗き見え機織り機の音が良く聞こえてきました。織物関係の方が多かったように記憶しています。
幼少の頃は、ご近所の方々に仲良くして頂きました。勝手にお邪魔したり、晩ご飯まで食べて帰ったり…お世話になっていました(笑)。まさに、庶民の町というイメージでしたね。

――焼肉店も経営された経緯は?

父が、次に手掛けるビジネスとして焼肉店を選んだのは、母の実家が焼肉店を営んでおりノウハウを吸収しやすかったからです。ただ開業当時は、現在のように飲食業として焼肉が広く認知されていなかったので、父は中華料理のコックさんをヘッドハンティングし、開業当初のメニューは中華料理と焼肉料理が混在していました。
ノウハウを頂いた母の実家の焼肉店は無くなりましたが、その流れを汲む母の叔父が創業されたお店は今も営業されています。1〜2ヶ月に1回ペースで通っていますが、どうしても自分の店の味と比べてしまいます。(自分の店の味には)自信があるんですが、このお店のハラミは美味しすぎて毎回悔しい気持ちになります。(笑)

――大将軍といえば「サウナ」というイメージの方も多いと思います

そうなんです、閉業したのは本当に残念なんですけど・・・。

サウナを開業したのも、サウナ好き、マッサージ好きであった父のアイデアです。

昭和42年に現在のビルが建ちサウナをオープンしています。開業してから盛況でしばらくは、ロッカーが全然足らないという時期もありました。お客様の待ちが出て、次のロッカーが空くまで靴を脱いでロビーのソファで座って待っていたりとか、すごい時代でした。
昭和の終わり頃までは、接待に利用される方が非常に多かったことも印象的でした。ビルに到着5階の受付〜7階サウナ〜8階マッサージ、それから下の階で焼肉。それからタクシーでそのまま祇園に向かうという、それはもう接待のゴールデンコースでした(笑)。当時は、設備や人材などのコストを気にせずに営業出来る時代だったようですね。
バブルがはじけて以降、設備の老朽化に伴うメンテナンスに関しては、そのコストを抑えながらの運営に苦労しました。マッサージのスタッフはベテランの方が多く、施術の評判も良かったので、皆さんの生活を守るためなんとか工夫して経営をしてきました。客数、売り上げの激減により事業存続が困難な状況が見えてきたため、スタッフの方々の引受先も決まった上で、閉業することにしました。

現在、設備はそのまま残ったままで配管関係の定期的なメンテナンスは行っています。
大浴場の階は、防水を頑丈にしていたので、「四条大宮の7階で水耕栽培して野菜作りをするのもいいな」なんて言うてたんですけど(笑)
近年はサウナブームなので、あのまま続けていたら、結構面白かったのかなとは思いますけどね。。。

会社経営と医者の二足のわらじ

――お医者さまと伺いましたが、現在のお仕事をするきっかけはなんでしょうか?

私が高校生の頃、父から「商売は水ものだし、息子だからというだけで家業を引き継がせるなんて、そんな無茶なことはできない。自分の力で生きていきなさい」と言われました。加えて「将来のために何か資格があるほうがいい」ともアドバイスされ、たまたま姉が医学部に進学していたことも影響し、医学の道に進みました。大学院にも進学し大学の医局にいる期間が長かったこともあり、当時は一生医者として頑張ろうと考えていました。
博士号を取ってしばらくして、父や会社の専務から事業承継の猛プッシュがありました。最初は断っていたのですが、専務が高齢となり申し送りのリミットが迫っていることも感じていたため、覚悟を決めて平成3年8月に入社しました。

「自分の力で生きていきなさい」と言われ医者として医療に従事してきましたが、入社してから「サービス業にもホスピタリティが必要!」と感じ、医療にも不可欠なホスピタリティという共通項があれば自分でもやっていけるのではと思いました(笑)

――入社のタイミングで病院は退職されたのですか?

入社の条件として医者を続けさせてほしいと伝えていました。病院側も人手が足りず、双方が望む形になったこともあり、当時は週1日程度で勤務し他の先生方の手術の介助についたりしていました。現在は、病院に行く回数も随分減りましたが、医者としての仕事は続いています。

昭和の風情が残る街・四条大宮

――四条大宮の魅力はなんでしょうか?

昔は昭和そのもので、縄暖簾のかかった居酒屋や駄菓子屋のある庶民の町でした。
現在は、大きなマンションやホテルが立ち並び、都会的な雰囲気に変わってきましたが、四条通りから一歩足を踏み入れると昭和の香りが残るお店もあり、若い世代がオーナーの飲食店や老舗出身のオーナーの料理店、個性的な物販店なども増え活気のある多面的な街になってきたと思います。
四条大宮のホテルに宿泊される観光客の方にも、ぜひ四条大宮の魅力に触れてほしいと願っています。ホテルから出て、バスや電車に乗らなくても、徒歩圏内で飲食も娯楽も楽しめる。四条大宮の街全体を活性化するという意味でも、商店街として宿泊施設や飲食店との協力や連携を深めていきたいと考えています。

――魅力をもっと高めるために期待することは?

先ずは、阪急電鉄の特急が再び(四条)大宮駅に停車することですね。
乗降者数の増加はもちろん大事ですが、その方々も含め色々な方々に滞留して頂ける町にならなければなりません。そのためには、商店街のメンバー自らが研鑽を重ねる事で魅力的で活気溢れるお店を創り上げていく必要がありますし、そんなお店がひしめき合う四条大宮になるよう努めていくことが大事だと思います。
路線価の上昇から高級マンションも建つようになり、町のイメージも益々洒落た感じになっていく事でしょう。それでいながら昭和の香りの残る、温かい触れ合いの町、地元の方々に愛される町として発展していくことを望みます。

――ご自身のお店や会社への「夢」はありますか?

焼肉に関しては、昭和から現在まで積み重ねてきた60年余りの歴史やレシピを当社の宝として大事に受け継ぎながら、それが四条大宮ならではの食文化に少しでも役立てばいいなと考えています。
私も、焼肉が好きなので、あの店(前述のお店)のハラミの味を超えたいと思います(笑)

商店街としての活動

――本商店街での「善き出会い」についてお聞かせください

出会いといえば、「いっさん」こと石田理事長に尽きます。強烈なキャラと個性、聡明でいて、かつ可愛い面もある魅力的な人物で、誰よりも四条大宮を愛している方だと思います。

私が入社間もない頃、石田理事長(当時は副理事長)が商店街加入の直談判するために自宅に来られ、父に熱弁をふるわれました。「ぜひ、一緒に四条大宮を盛り上げていきましょう!」と言われたのが商店街に関わるきっかけとなりました。
私は、その直前まで医者の仕事しかしていなかったので「the商売人」な出で立ちの石田理事長との出会いは強烈でした(笑)

父からは「お手伝いできることがあれば是非やった方がいい」と則され、理事になりました。当時、石田さんから「理事として四条大宮のために一緒に頑張りましょう」と言われましたが、あれから30年以上、理事として一緒に過ごすことが出来たこのご縁に心から感謝しています。

ご縁といえば、太田理事のお店「ワイングロッサリー」さんとも、40年近いお付き合いになります。太田理事は、商工会議所青年部でも一緒に活動してきた戦友でもあります。
吉岡理事のお店「モリタ屋」さんは、当店に食材を提供して下さる大事な取り引き先でもあります。
商店街の役員として活動してきた中、お陰様で2022年3月22日に開催された京都商店連盟75周年にて、太田理事、吉岡理事と共に京都市長表彰受章を授かることも出来ました。

今でもこのメンバーで集うと商店街の話で盛り上がることが多いです。善き出会いに乾杯!

もちろん当店に至っては、長きにわたってご愛顧頂いているお客様やご家族で来て下さる皆様、新たに出会えたお客様、そして小中高、大学の同窓生、病院の仕事仲間、商工会議所青年部メンバー、内外からの旅行者などの皆様にご来店頂いています。
お客様、営業を支えて下さる業者の方々、当店のスタッフ、多くの方々との善き出会いに、只々感謝しかありません。

――店街の活動についてもお聞かせください

四条大宮まちづくり景観協定が「市街地景観整備条例」の適用になったのは商店街連盟の中で我が商店街が初めてでした。新しい建造物が建つ際は、事前説明を行って頂き、街の色合いなど街並みとしての統一感を図るようにお願いしています。
その中でも、電線の地中化や歩道の整備が出来たのは、商店街のメンバーの尽力によるものです。特に石田理事長が奔走され実現にこぎつけたことを、地元の殆どの方はご存知ありません。
商店街の加入会員全員で四条大宮のソフト・ハードを含めて、よりよい街として発展させるための整理・整備を継続していきたいと思います。

――最後にメッセージをお願いします。

昭和の時代が香る店舗がある一方で、おしゃれで先進的なホテルも建つ四条大宮には、店舗によって規模や業態が違いながらも、「お互いを認め尊重し合う=ダイバーシティ」という考えが、昔から根付いている街なのではと感じます。
ダイバーシティの時代といわれる中、多種多様なお店のある四条大宮は正に時代のニーズに合った商店街だと思っています。

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弊社は昭和27年創業、昭和37年に四条大宮に開業しました。同年に喫茶シャトー、翌年に天下の焼肉大将軍を開業、飲食店として62年になります。
「元気と笑顔が溢れるお店、地域にそしてお客様に愛されるお店、 地域にそしてお客様になくてはならないお店、これが私たちの目指すお店です。」
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「四条大宮の人」第1回目のインタビューは、四条大宮に生まれ育ち、この地で商売も経験され、現在は税理士業のかたわら四条大宮商店街の理事長を務められている石田哲雄さんに、四条大宮の過去・現在・未来について、お話を伺いました。

生粋の四条大宮人

――四条大宮のご出身と伺いました

生まれも育ちも、四条大宮。マヤ幼稚園(現在廃園)、乾小学校(現洛中小学校)、中京中学、堀川高校という、中京のエリートコースを通った生粋の四条大宮人です(笑)。
この地で両親も商いを営み、私自身も商売を経験させてもらい、現在は商店街の理事長に就かせていただいています。心から、四条大宮に感謝しています。

かつて四条大宮は「京都の新宿」だった

――四条大宮商店街の昔の姿についてお聞かせください

戦後の四条大宮は、阪急電鉄京都行きの終点であり、特急が止まっていました。しかも駅の名称は「京都駅」。相当な賑わいがありました。当時、人が多く集まる交通の要衝となる街は、みんな『東京の新宿のようになりたい』という強い思いがあったのではないでしょうか。
現在の商店街の前身となる団体が、昭和20年の後半から30年代前半にかけて四条大宮地域で活動されていました。四条大宮は「京都の新宿」と呼ばれていたこともあってか、その団体名は『京都新宿会』でした。現存している店舗は数店ですが、ありがたいことに現在も加盟していただいている状況です。
また、かつての賑わいを少しでも取り戻そうと、阪急電鉄さんに対し「四条大宮に再び特急を」と訴え続けているのですが、残念ながら実現は難しいようです。訴え続けるつもりではおりますが(笑)。

昭和30年代の四条大宮

魅力が多い街、四条大宮

戦後の賑わいもあってか、四条大宮には安くて美味しい・気軽に入れるという飲食店が多く存在し、その雰囲気が今も随所に漂っています。今で言う『B級グルメ』の種類が多い街かもしれないですね。
新選組ゆかりの地であることは有名ですが、信長・秀吉の時代に西洋建築があったりキリスト教の布教活動が行われていたりと歴史的にも興味深い土地でもあります。
もともとこの地の農産物であった京壬生菜は、商店街に加盟されている川勝總本家さんにて漬物として商品開発し、現在名産品として販売し地域活性化につなげたいと計画しています。

――ロータリーの存在とワンデーパークについて、教えていただけますか

四条大宮のロータリーは、戦時中に空襲での火災が発生した際に広がらないようにするための防火帯として作り進められました。当時は、東西にあの幅で、五条通りまで防火帯を作る計画だったようですが、建物を潰し始めたところ、その1週間後に終戦となってしまい、その計画が終了となったそうです。
バブルの時期には、オフィスビルの建設を行政に働きかけてみようかと思案していたのですが、今はあの空間があるから四条大宮という存在が広く見えてると感じています。四条通りを東から、河原町・烏丸・大宮・西院と通っても、この中で広い空間と開放感があるのは四条大宮だけ。
けれども、ロータリーや駐車場として利用されるだけではもったいない、なんとか人の賑わいを取り戻すことができないかと考えました。
昔、学生時代にイギリス留学した際に存在を知った、ハイド・パークのスピーカーズ・コーナー※のような公園にしてもらって、人が集まる自由で活発な場所として利用価値を高めたほうがいいのではと考え、その思いを込めて、毎年7月15日開催、25年間継続している「ワンデーパーク」を始めました。
「(たった)1日だけ(でも、取り戻す)公園」という意味ですが、本当は365日一年中人が集まり賑わう公園にしたいという思いを込めたネーミングでもあります。
祇園祭エリアの最西端の地区で、阪急をはじめ交通の要所でもありますので、祇園祭の際は四条大宮を出発点としてお祭りを楽しんでいただければと。

※ロンドンのハイド・パークの北東隅にあるものが有名な、さまざまな人が日々自説を論じる場所

四条大宮での出会い

――四条大宮での出会いに関するエピソードがあれば、ぜひお聞かせください

戦後、満州から引き上げてきた父親が、四条大宮で3坪ほどの小さな店舗で野菜販売を始めました。その後、どんどんと人が集まると同時に商売も拡大し、最終的には飲食業で100坪ほどあるお店となり、四条大宮を一世風靡しました。
ただ、私自身が17歳のときに父親が亡くなり、私と母親、弟と妹との家族となりました。当時まだ若い私は、税理士になることを志望しており、商社マンになる夢もありました。戦後を経験している私は、世界中の良いものを日本に、そして日本の良いものを世界に届けたいという思いが強かったので、商社マンとなり世界中を駆け巡ることが夢でした。けれども、父親がなくなったことで残った家族をどうやって養っていけば…と悩んでいるときに、四条大宮の『餃子の王将』さんの勢いが凄く、その当時から「セントラルキッチンの導入」を目指されているということを耳にしたので、初代社長の加藤さんに「物件を借りてくれませんか!」と直訴しに行ったんです。無謀にも若さゆえの行動でしょうか(笑)。
その後、現地まで加藤社長は足を運んでくださり、内見をしていただきました。その時、加藤社長がおっしゃった言葉は、「人に貸したらあかん、返ってきいひんぞ!」。言われたその時はショックでしたが、今思うと現代のような借地法や借家法など法整備がされていない時代、土地に関するトラブルも多かったことから、無知な若者に対してのありがたい注意喚起だったのではと思い出します。また、今や外食・レストラン大手となる企業代表の先見の明と人格・人徳を強く感じました。

わざわざ行きたい街 四条大宮に

――最後に、これからの四条大宮についての未来展望を伺ってもよっろしいでしょうか?

私が生まれ育ちそして商売をした地であること、両親や地域の方々への感謝など、人生を振り返ったときに、私にとっては四条大宮で出会った人々も含めこのエリアが大きな存在であり、常に恩返しができればと考えています。

これまでお話してきたように、四条大宮は交通の要衝であり、ここを起点とし京都水族館、映画村、嵐山、祇園界隈へ、電車やバス1本で移動できます。また、近隣の観光名所である、壬生寺や新選組関連のスポット、二条城へも徒歩圏内です。
これだけだと、たまたま来ただけの通過点となってしまうのですが、四条大宮に滞在するためにわざわざ愛を運んでもらいたい。私は「たまたまショップからわざわざショップ」と題して、加盟企業やお店の方には必ずお伝えさせていただくことがあります。「わざわざ行きたい!」と思っていただける工夫を凝らしたお店を作ってくださいと。

商店街では、インフラの整備や防犯カメラなど、安心安全なまち作りの活動はこれからも継続して行いますが、私個人として何か恩返しできることはないかということも考えています。
兼ねてから四条大宮には会合する場所がないため、地域の活動をするための拠点が必要なんじゃないかなと。商店街活動はもとより、少年補導やPTAなど地域の方々をはじめ一般の方にも無料で開放し、多種多様な人々が集まり自由に使っていただけるバリアフリーな空間を提供できればなと。

「わざわざ行きたい街 四条大宮」。実はそこには、B級グルメを始めとする飲食店や、民泊やホテルのリーズナブルな宿泊施設が多く存在し、庶民的な街として発展しながらも、人が集まる理由がある、魅力と価値ある商店街にしていきたいという思いがあります。
それが実現する頃には、阪急大宮駅に特急が停車していることでしょうね(笑)。

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餃子の他にも、「炒飯」や「ニラレバ炒め」、「餃子の王将ラーメン」など、たくさんの人気メニューを手作り調理で提供しております。
餃子の王将の真心のこもった熱々中華料理をお楽しみください。