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連載コラム【四条大宮の人】

#01
四条大宮商店街振興組合 理事長/税理士 石田哲雄さん
わざわざ行きたい街 四条大宮に

「四条大宮の人」第1回目のインタビューは、四条大宮に生まれ育ち、この地で商売も経験され、現在は税理士業のかたわら四条大宮商店街の理事長を務められている石田哲雄さんに、四条大宮の過去・現在・未来について、お話を伺いました。

生粋の四条大宮人

――四条大宮のご出身と伺いました

生まれも育ちも、四条大宮。マヤ幼稚園(現在廃園)、乾小学校(現洛中小学校)、中京中学、堀川高校という、中京のエリートコースを通った生粋の四条大宮人です(笑)。
この地で両親も商いを営み、私自身も商売を経験させてもらい、現在は商店街の理事長に就かせていただいています。心から、四条大宮に感謝しています。

かつて四条大宮は「京都の新宿」だった

――四条大宮商店街の昔の姿についてお聞かせください

戦後の四条大宮は、阪急電鉄京都行きの終点であり、特急が止まっていました。しかも駅の名称は「京都駅」。相当な賑わいがありました。当時、人が多く集まる交通の要衝となる街は、みんな『東京の新宿のようになりたい』という強い思いがあったのではないでしょうか。
現在の商店街の前身となる団体が、昭和20年の後半から30年代前半にかけて四条大宮地域で活動されていました。四条大宮は「京都の新宿」と呼ばれていたこともあってか、その団体名は『京都新宿会』でした。現存している店舗は数店ですが、ありがたいことに現在も加盟していただいている状況です。
また、かつての賑わいを少しでも取り戻そうと、阪急電鉄さんに対し「四条大宮に再び特急を」と訴え続けているのですが、残念ながら実現は難しいようです。訴え続けるつもりではおりますが(笑)。

昭和30年代の四条大宮

魅力が多い街、四条大宮

戦後の賑わいもあってか、四条大宮には安くて美味しい・気軽に入れるという飲食店が多く存在し、その雰囲気が今も随所に漂っています。今で言う『B級グルメ』の種類が多い街かもしれないですね。
新選組ゆかりの地であることは有名ですが、信長・秀吉の時代に西洋建築があったりキリスト教の布教活動が行われていたりと歴史的にも興味深い土地でもあります。
もともとこの地の農産物であった京壬生菜は、商店街に加盟されている川勝總本家さんにて漬物として商品開発し、現在名産品として販売し地域活性化につなげたいと計画しています。

――ロータリーの存在とワンデーパークについて、教えていただけますか

四条大宮のロータリーは、戦時中に空襲での火災が発生した際に広がらないようにするための防火帯として作り進められました。当時は、東西にあの幅で、五条通りまで防火帯を作る計画だったようですが、建物を潰し始めたところ、その1週間後に終戦となってしまい、その計画が終了となったそうです。
バブルの時期には、オフィスビルの建設を行政に働きかけてみようかと思案していたのですが、今はあの空間があるから四条大宮という存在が広く見えてると感じています。四条通りを東から、河原町・烏丸・大宮・西院と通っても、この中で広い空間と開放感があるのは四条大宮だけ。
けれども、ロータリーや駐車場として利用されるだけではもったいない、なんとか人の賑わいを取り戻すことができないかと考えました。
昔、学生時代にイギリス留学した際に存在を知った、ハイド・パークのスピーカーズ・コーナー※のような公園にしてもらって、人が集まる自由で活発な場所として利用価値を高めたほうがいいのではと考え、その思いを込めて、毎年7月15日開催、25年間継続している「ワンデーパーク」を始めました。
「(たった)1日だけ(でも、取り戻す)公園」という意味ですが、本当は365日一年中人が集まり賑わう公園にしたいという思いを込めたネーミングでもあります。
祇園祭エリアの最西端の地区で、阪急をはじめ交通の要所でもありますので、祇園祭の際は四条大宮を出発点としてお祭りを楽しんでいただければと。

※ロンドンのハイド・パークの北東隅にあるものが有名な、さまざまな人が日々自説を論じる場所

四条大宮での出会い

――四条大宮での出会いに関するエピソードがあれば、ぜひお聞かせください

戦後、満州から引き上げてきた父親が、四条大宮で3坪ほどの小さな店舗で野菜販売を始めました。その後、どんどんと人が集まると同時に商売も拡大し、最終的には飲食業で100坪ほどあるお店となり、四条大宮を一世風靡しました。
ただ、私自身が17歳のときに父親が亡くなり、私と母親、弟と妹との家族となりました。当時まだ若い私は、税理士になることを志望しており、商社マンになる夢もありました。戦後を経験している私は、世界中の良いものを日本に、そして日本の良いものを世界に届けたいという思いが強かったので、商社マンとなり世界中を駆け巡ることが夢でした。けれども、父親がなくなったことで残った家族をどうやって養っていけば…と悩んでいるときに、四条大宮の『餃子の王将』さんの勢いが凄く、その当時から「セントラルキッチンの導入」を目指されているということを耳にしたので、初代社長の加藤さんに「物件を借りてくれませんか!」と直訴しに行ったんです。無謀にも若さゆえの行動でしょうか(笑)。
その後、現地まで加藤社長は足を運んでくださり、内見をしていただきました。その時、加藤社長がおっしゃった言葉は、「人に貸したらあかん、返ってきいひんぞ!」。言われたその時はショックでしたが、今思うと現代のような借地法や借家法など法整備がされていない時代、土地に関するトラブルも多かったことから、無知な若者に対してのありがたい注意喚起だったのではと思い出します。また、今や外食・レストラン大手となる企業代表の先見の明と人格・人徳を強く感じました。

わざわざ行きたい街 四条大宮に

――最後に、これからの四条大宮についての未来展望を伺ってもよっろしいでしょうか?

私が生まれ育ちそして商売をした地であること、両親や地域の方々への感謝など、人生を振り返ったときに、私にとっては四条大宮で出会った人々も含めこのエリアが大きな存在であり、常に恩返しができればと考えています。

これまでお話してきたように、四条大宮は交通の要衝であり、ここを起点とし京都水族館、映画村、嵐山、祇園界隈へ、電車やバス1本で移動できます。また、近隣の観光名所である、壬生寺や新選組関連のスポット、二条城へも徒歩圏内です。
これだけだと、たまたま来ただけの通過点となってしまうのですが、四条大宮に滞在するためにわざわざ愛を運んでもらいたい。私は「たまたまショップからわざわざショップ」と題して、加盟企業やお店の方には必ずお伝えさせていただくことがあります。「わざわざ行きたい!」と思っていただける工夫を凝らしたお店を作ってくださいと。

商店街では、インフラの整備や防犯カメラなど、安心安全なまち作りの活動はこれからも継続して行いますが、私個人として何か恩返しできることはないかということも考えています。
兼ねてから四条大宮には会合する場所がないため、地域の活動をするための拠点が必要なんじゃないかなと。商店街活動はもとより、少年補導やPTAなど地域の方々をはじめ一般の方にも無料で開放し、多種多様な人々が集まり自由に使っていただけるバリアフリーな空間を提供できればなと。

「わざわざ行きたい街 四条大宮」。実はそこには、B級グルメを始めとする飲食店や、民泊やホテルのリーズナブルな宿泊施設が多く存在し、庶民的な街として発展しながらも、人が集まる理由がある、魅力と価値ある商店街にしていきたいという思いがあります。
それが実現する頃には、阪急大宮駅に特急が停車していることでしょうね(笑)。