四条大宮近辺の史跡・観光地

「壬生寺」

壬生寺は、京都市中京区壬生梛ノ宮町にある律宗の大本山の寺院です。本尊は延命地蔵菩薩で、厄除け、開運の寺として庶民の信仰を集めています。
正暦2(991)年に三井寺の快賢僧都によって創建。開山は園城寺(三井寺)の僧快賢で、亡くなった母の菩提を弔うためにお地蔵様を本尊としてお堂を建てたと言われています。
中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、春と秋、節分の際に境内の大念仏堂(狂言堂)にて演じられ、

京都では第一号として重要無形民俗文化財に指定されています。
また、壬生寺は新選組ゆかりの寺としても知られています。幕末に新選組の隊士たちが武芸の訓練などを行ったとされていて、境内には、隊士らの墓や近藤勇局長の胸像が設けられています。池田屋騒動があったとされる祇園祭宵山の7月16日には、毎年、慰霊供養祭が行われています。

〒604-8821 京都市中京区壬生梛ノ宮町31
https://www.mibudera.com/

「新選組屯所旧跡」

1863(文久3)年に誕生し幕末京都の警護を担った新選組。その新選組が約3年を過ごした壬生屯所旧跡の旧前川邸と旧八木邸は今も現存し、当時をしのぶことができます。
八木邸は、新選組結成の舞台として知られています。八木家は、壬生村の旧家で、壬生郷士の長老を務め、京都守護職や所司代とも深い関わりがあったため、近藤勇、土方歳三らの宿所となり、のちに新選組の屯所となりました。
同エリアに隣接する旧前川邸も、新選組の屯所として使用されていました。

八木邸
〒604-8821 京都市中京区壬生梛ノ宮町24
https://www.mibu-yagike.jp/

旧前川邸(現在は非公開)
〒604-8811 京都市中京区壬生賀陽御所町49
https://kyu-maekawatei.com/

「二条城」

二条城は、京都市中京区にある江戸時代の徳川将軍家の平城です。正式名称は「元離宮二条城」で、明治時代には皇室の別邸・二条離宮でした。
1603(慶長8)年、徳川家康が天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするために築城され、東西約600m、南北約400mの広さで、堀に囲まれています。
徳川慶喜が政権を朝廷へ返上する大政奉還を表明した場所として知られており、徳川家康と豊臣秀頼の会見など、様々な歴史の舞台となりました。

また、二条城には二の丸御殿や唐門など絢爛豪華な桃山文化の遺構が数多く残っており、徳川家の栄枯盛衰と日本の長い歴史を見守ってきた貴重な歴史遺産であることが評価され、「古都京都の文化財」の構成資産として世界遺産に登録されました。

〒604-8301 京都府京都市中京区二条城町541
https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/

「妙満寺跡・二十六聖人発祥地」

妙満寺は 法華宗の総本山で、16世紀に京都市下京区妙満寺町にありましたが、豊臣秀吉により寺町二条に移転。その跡地がフランシスコ会ペトロ・バプチスタ神父に与えられ、教会や病院、学校などを建設し、ここを拠点に布教活動を行いました。
その後秀吉によるキリシタン追放政策により、1597(慶長2)年にこの神父を含むカトリック信者たちは捕らえられ、長崎で処刑されました。その後、処刑された者たちは日本二十六聖人として聖人に加えられている。

〒600-8392 京都府京都市下京区妙満寺町581

「元祇園 梛神社」

四条大宮を西に向かった、壬生寺の北にあるこの神社には、梛神社(厄除け・縁結び)と隼神社(厄除・病気平癒)の二つの本殿が横に並ぶ珍しい神社です。
毎年5月に行われる「神幸祭」は、1155年の歴史があり、現在の形になり100年以上続いています。また、6月の「夏越祓(茅の輪くぐり)」など、伝統行事が受け継がれると共に地元地域に愛されています。

〒604-8821 京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町18-2
https://motogion-nagijinja.or.jp/